京都地方裁判所 平成5年(ワ)1701号 判決 1995年10月05日
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは連帯して、原告甲野太郎に対し金二五〇〇万円を、原告甲野春子、同甲野次郎及び同甲野夏子に対し、各金八三三万三三三三円をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 訴外甲野花子(以下「花子」という。)は、平成元年九月一六日深夜、京都市伏見区<番地略>○○団地八棟東側空き地(以下「本件現場」という。)において、火傷を負い、死亡した。
2 伏見消防署醍醐分署の消防職員は、同日午後一一時五〇分すぎ、本件現場に駆けつけたが、この時点では、花子はまだ生存していた。
3 消防職員としては、消防法二条九項、三五条の五により、火傷を負った花子を医療機関に搬送する義務があるのに、右消防職員は、花子を医療機関に搬送することなく本件現場に放置した。
4 京都府山科警察署の署員は、同月一七日午前〇時一〇分ころ、本件現場に駆けつけ、花子が火傷を負って本件現場に倒れているのを発見した。この時点でも、花子はまだ生存していた。
5 本件現場には、右花子を保護する者がいなかったのは明らかであるから、右警察官は警察官職務執行法三条により花子を医療機関に搬送する等の救護措置をとるべき義務があるのに、花子を本件現場に放置した。
6 3、5の救護義務違反のため、その後花子は死亡するに至った。
7 前記の事故により花子及び原告らに生じた損害は、以下のとおりである。
(一) 花子に生じた損害
(1) 逸失利益(二五〇〇万円)
花子は本件事故当時四五歳であって、女子全年齢平均額によると、
2,458,800×(1−0.3)×14.580=25,094,513
が相当である。
(2) 慰謝料(一九〇〇万円)
本件事故の態様、被告らの担当者の過失の重さ、花子の年齢、死に至る迄の苦痛、花子の家族内での地位その他の事情を考慮すると、花子の慰謝料として右の金額は下らない。
(3) 原告甲野太郎は花子の夫であり、原告甲野春子、甲野次郎及び甲野夏子は、いずれも花子の子である。
(4) 原告甲野太郎は花子の前記(1)、(2)の損害賠償請求権をその二分の一の二二〇〇万円につき相続し、その余の原告はいずれも右請求権をその各六分の一の七三三万三三三三円を相続した。
(二) 原告らの慰謝料(甲野太郎に関し三〇〇万円、その余の原告に関し各一〇〇万円)
原告甲野太郎は本件事故によって、最愛の妻を失って、その余の原告らは、最愛の母を失って、そのことによって受けた精神的苦痛は大きく、原告らの慰謝料はいずれも右金額を下らない。
8 よって、原告らは被告らに対し、不法行為に基づき、連帯して、原告甲野太郎は、二五〇〇万円、原告甲野春子、同甲野次郎及び同甲野夏子は、各八三三万三三三三円の支払を求める。
二 請求の原因に対する認容
1 請求原因1は認める。
2 同2のうち、消防職員が本件現場に駆けつけたことは認めるが、その余は否認する。
3 同3のうち、花子を医療機関に搬送しなかったことは認めるが、その余は否認する。
4 同4のうち、山科署員が現場に到着したことは認めるが、その余は否認する。
5 同5のうち、本件現場に駆けつけた京都府山科警察署の署員が医療機関に搬送する等の救護措置をとらなかったことは認めるが、その余は否認する。
6 同6、同7は否認する。
第三 証拠
<証拠略>
理由
(以下、理由中において、書証の成立に対する判断は、特に争いのある書証を除き、原則として省略する。)
一 伏見消防署醍醐分署の消防職員及び山科警察署の署員が、本件現場で花子が火傷を負って倒れているのを発見した後、同人を医療機関に搬送しなかったことについては、当事者間に争いがない。
二 そこで、右消防職員及び警察署員の救護義務違反の有無について検討する。
1 証人A、同B及び同Cの各証言並びに甲第一〇号証の三、乙第一、第七、第八、第九号証、検乙第一ないし第六号証及び丙第一ないし第三、第五号証によれば、以下の事実が認められる。
(一) 伏見消防署醍醐消防分署消防司令Aは、平成元年九月一六日、同署において勤務に服していたが、同日二三時五〇分ころ、消防局指令センターから、本件現場への火災出動指令が発令されたため、同人は現場の最高指揮者として他の消防職員らとともに、本件現場へ直行した。
(二) Aが、同日二三時五三分ころ本件現場に到着し、炎の上がっているところに近づくと、そこには、全身に火傷を負った花子が倒れており、花子の足元からは炎が一〇ないし二〇センチメートル程度上がっていた。
(三) そこで、Aは、放水の態勢を整えおわった他の消防職員に対し、ただちに噴霧による放水を指示し、花子に対し約一〇秒間放水して鎮火した。
(四) その時の花子の様子は、着衣はほとんどが焼けてなくなっており、鼻口から泡状のものを出し、足元が燃えていたにもかかわらず、全く身動きしない状態であった。
(五) Aは、花子に対して救護活動を実施するかどうかを判断するために、鎮火後直ちに、花子が生存しているかどうかの確認を、京都市消防局長通達「救急活動等細部実施要綱」記載の観察方法に基づき行った。その結果は、左記のとおりであった。
(1) 顔面は、ほぼ全面に強い熱を受けて黒色に変色し、一部炭化している箇所があった。また、頬と顎の一部に水泡が熱で破れて真皮が露出し、口は開き舌を出している状態で、両眼は焼けただれて開かなかった。
(2) 意識の状態は、Aその他の消防職員が耳元で相当大きな声で呼びかけても反応がなかった。そして、消防職員が提携する強力ライト(同ライトは二〇〇メートル先でも新聞が読めるほどの光度を有する。)で花子の顔面を照らしても、一切反応がなかった。なお、瞼が焼けただれており、無理に開けようとすれば損壊のおそれがあったため、瞳孔反応を調べることはできなかった。
(3) (2)記載のライトで照らして観察した結果、出血している箇所はなかった。
(4) 脈拍の状態を観察するため、Aは手袋を外した上で右手を花子の頸部にあて、総頸動脈により脈拍の有無を判断したが、触知できなかった。
(5) 呼吸についても、胸腹部に動きはなく、Aが耳を花子の口元及び鼻に近寄せてみたが、空気の動きを感じることはできなかった。
(6) 皮膚については、火傷がほぼ全身に及んでいて、その程度は二度(火傷が皮膚の真皮まで達している状態)ないし三度(火傷が皮下組織まで達している状態)であり、大部分が三度の火傷の状態であった。特に頭部、顔部、両下腿部の火傷が強く、一部炭化し、頭髪は焼け焦げていた。
(7) 花子は左側臥位で倒れ、四肢の関節が屈折しており、焼死体に見られる、いわゆる闘士状姿勢を取っていた。
(8) 周囲の状況については、花子から北へ七、八メートル離れた所に、灯油を入れるポリ容器らしきものが燃焼していた状態であり、その近くには使い捨てライターが落ちていた。
(六) Aは、右の状態を見て、花子が既に死亡しているものと判断し、消防職員に対し、防水シートにより現場を遮蔽するように指示し、到着した警察官と協議のうえ、その後の措置を警察官に引き継いだ。
(七) 京都府山科警察署巡査部長Bは、同日二三時五五分ころ、同署において刑事当直勤務の待機中、山科署司令室から人が燃えているので本件現場へ急行するよう指令を受け、本件現場に向かった。なお、現場まで向かう途中、Bは、山科署の他のパトカーが京都府警察本部司令室及び山科署司令室に「消防先着。消防によると人が燃えていたもので、既に人は死亡。目撃者もある模様。」と無線送信したのを傍受している。
(八) Bは、同月一七日午前〇時三〇分ころ、本件現場に到着したところ、現場には既にシート様のもので囲いが施されていた。
(九) Bは、強力ライトで照射して花子を観察したところ、花子の状況が以下のとおりであったことから、既に死亡していると判断した。
(1) 花子は、ひどく火傷を負っており、年齢の判断ができず、男女の別も燃え残った衣類の一部(下着等)と露出している身体からかろうじて女性と認められる程度であった。
(2) 姿態は、いわゆるボクサータイプ様で全く動きがなかった。
(3) 頭部は炭化し、頭髪も炭化の状態であった。
(4) 顔面の表皮は黒色に変色し、一部真皮が露出していた。
(5) 両眼は焼けただれて開かなかった。
(6) 唇は炭化し、口内は開かなかった。
(7) 頸部の表皮は炭化し、一部真皮が露出していた。
(8) 胸部及び背部の表皮は、茶褐色に変色していた。
(9) 両下肢とも表皮の一部は、炭化した状態であった。
(10) 脈拍、呼吸もなく、胸部、腹部等の身体は微動だにせず、うめき声等は聞かれなかった。
(一〇) その後、山科署の外勤警察官が、マイクロバスにより花子を山科署の霊安室に搬送した。
(一一) 山科署においては、同日午前三時五〇分から同日午前四時二八分までの間に、医師岡野信成による死体検案書(甲第一〇号証の三の変死体検案記録はその際の同医師の手控え)が作成され、これと並行して、同署署員により変死体等観察メモが作成された。そして、同医師が、死体検案をした際の花子の状況は以下のとおりである。
姿勢 左側臥位闘士様
体格 小柄
外傷 火傷以外認めない
骨折 なし
瞳孔 熱傷のため不明
角膜混濁 熱傷のため不明
硬直 全身に強
死斑 不明
腐敗 なし
頭部 頭髪炭化
頸部 表皮黒色に変色
顔 表皮黒色に変色 ところどころ真皮露出
胸部 全体に茶褐色に変色
腹部 茶褐色 手術痕二ヶ所認む
上肢 火傷四度
下肢 火傷四度
背面 全体に茶褐色 衣服の下紅斑部あり
岡野医師は、右のような観察に基づき、花子の死因について、高温の刺激による第一次ショック死により短時間のうちに亡くなったものと推察している。
2(一) 以上認定した事実によれば、A及びBが花子を発見し観察した状況に基づき、花子が既に死亡しているものと判断し、救護措置を執らなかった点に被告らの救護義務違反を認めることはできない。
(二) 以下、消防職員及び警察署員による花子の発見当時の状況のうち、問題となる点について検討を加える。
(1) 顔面の炭化について
検甲第二一、第二二号証によると、原告甲野太郎が花子の遺体を引き取った後、花子の顔面を洗ったところ、額部から鼻にかけての部分の色は白いままであり、同号証に見える部分に関する限り、「炭化」があったと認めることはできない。しかしながら、変死体等観察メモ(丙第三号証)によると、顔面のうち、炭化していると認められるのは口唇部であり、口唇部については、前記検甲第二一、第二二号証では包帯で覆われていて観察することができないのであるから、前記検甲第二一、第二二号証の写真をもって、顔面の炭化が存在していない根拠とすることはできない。
(2) 舌を出した状態について
医師岡野信成作成の死体検案記録によると、たしかに、「舌を出した状態」との記録は認められない。しかしながら、検乙第三号証によれば、現場にあった状態の花子の口唇部に舌が出ている状態が写っており、また、変死体等観察メモ(丙第三号証)にも、「舌は歯列の外2.5センチメートル出して噛む」との観察記録がなされている(なお、前記1(二)に認定したとおり、山科警察署による変死体等観察メモは岡野医師の死体検案と並行して作成されている。)のであるから、右死体検案記録に舌が出ている旨の記載がないのは、むしろ同記録の記載もれと認めるべきであり、同記録に記載がないことをもって、花子の発見当時、舌を出した状態ではなかったと認めることはできない。
(3) 脈拍の状態
前記救急活動細部実施要綱三条(4)によると、「(ア)とう骨動脈、総頸動脈又は大腿動脈等を指で触れ、脈の有無、強さ、規則性及び脈の早さを調べる。
(イ)前記の方法によっても脈拍状態が十分に把握できない場合にあっては、電子血圧計を用いて最高血圧、最低血圧及び脈拍の回数を調べるとともに聴診器を用いて心音を聴取する。」との規程が存在し、証人Aの証言によれば、Aは、(ア)の措置はとったものの(イ)の措置をとっていないことが認められる。しかしながら、本件現場の状況及び花子の状況に照らし、(イ)の措置を執らなかったからといって直ちに消防職員としての救護義務違反に結びつくものということはできない。
(4) その他、火傷の程度がほぼ全身に及んでいたこと及び花子が現場で闘士状と呼ばれる状態で倒れていたことは前記1に認定のとおりであり、このような状態も含めて総合的に判断したうえ、現場に臨んだ消防職員が花子は既に死亡しているものと認めたのは相当な判断であると認めることができる。
三 以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鬼澤友直 裁判官 難波雄太郎 裁判官 本田敦子)